向島百花園には植物はさることながら、様々な句碑や顕彰碑が点在しています。
なかで変わったものがひとつ。
日本橋の石柱です。
案内板では、
↓
石橋
↓
鉄橋
と、変遷してきたなかで、
石橋時代の模造品だろう。としてあります。
ここで良く見ていただきたいのですが、
日
夲
橋
の、「本」の字が異体字になっているのがわかります。
これみたいな。(柴又にある山本亭です)
現在の日本橋の表示はこちら。
なぜ違うのか?
これに関する話で覚えているのが、
この「日本橋」の揮毫をしたのは徳川慶喜で、まず書いたのがこの「日夲橋」。
実際に架橋されたあと、読みにくいなどの苦情が多数入った。
律儀な慶喜は苦情の入ったものを残すのは本意でない、といって改めて「日本橋」と揮毫し直した。
という話です。
印象に残っているのですがどこで読んだのか………手元の本からは見つからず、現地の表示板にでも載っていたか、人から聞いた話だったのか………
定かではありませんが慶喜の性格を伝えるようなエピソードで私は好きです。
もやもやするので出所をそのうち確かめたいと思います。
どこだったかな………
それよりなにより、もっともやもやするのは百花園の案内板の変遷のくだりです。
木橋→石橋→鉄橋とありますが、
日本橋が鉄橋になった時代はないのです!今でも石造りのはず。
上に被さっている首都高とごっちゃになったのでしょうか。
蚊に刺されまくりながらのモヤモヤさんぽでした。